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2010年3月 4日 (木)

中濱万次郎

中濱博の「中濱万次郎」読了。

万次郎直系4代目が書いた力作でした。
彼の勤勉で実直な人柄がアメリカ人にも受け入れられ、たくさんの友人や後援者に恵まれ、日本に帰国することができました。
彼が帰国したい最大の理由は、『母に会いたい』と言うことでした。
土佐で母に会えたときは、うれしかったでしょうね。

少し長くなりますが、あらすじを書いてみます。
14歳の万次郎は、土佐から5人で漁に出たが漂流してしまい、太平洋上に浮かぶ無人島の鳥島で143日間生活をした。

偶然通りかかった捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助され、ハワイ経由でアメリカ本土に渡った。
船長のホイットフィールドの家でアメリカ生活が始まった。
いくつかの学校で英語をはじめ数学や造船技術などを学び、卒業後は捕鯨船に乗船し、副船長にまでなった。
英語は主に耳で覚えたそうです。
ちなみにホイットフィールド船長の家は、あの日野原先生(聖路加国際病院の日野原重明理事長)が修復に尽力し、ジョン万次郎記念館として開館しています。
ボストンから少し北へ行ったところだそうです。

どうしても母に会いたくて、帰国を決意。
折しもゴールドラッシュに沸く西部の金山に行き苦労しながら金を採掘し、600ドルの帰国資金を作った。
万次郎は、1851年24歳の時に琉球に上陸し薩摩、長崎と取り調べを受け、1852年25歳の時に土佐に帰着し、やっとのことで母と対面しています。

折しも、1953年にペリーが来航し、英語が堪能で生のアメリカ事情に詳しい万次郎に幕府は白羽の矢を立て、幕府に招かれ直参旗本となった。
日米間の交渉に通訳として尽力し、遣米使節団の一人として福沢諭吉らとともに咸臨丸にも乗船した。

開成学校(現在の東京大学)の教授にも任命されたが、周りの嫉妬や妬みに嫌気がさし、退職しています。

ホイットフィールド船長をはじめ、たくさんの心優しいアメリカ人の助けを受け、幕末に立派な仕事をなした中浜万次郎に敬意を表したいと思います。

故郷の土佐清水市には『ジョン万次郎記念館』や太平洋を臨んでいる万次郎の銅像があります。
機会があれば、『坂本竜馬記念館』とともに行ってみたいと考えています。

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