2013年8月 3日 (土)

63歳のエヴェレスト(渡辺玉枝)読了

国内でも無名の登山家であった女性が、わずか2人のパーティでエベレスト登頂に成功しました。
63才は当時の女性最高齢登頂だったそうです。

ポーターは3人ほど付いていましたが、よくもまあ少人数でエベレストに登れたものです。

三浦雄一郎さんの80才の最高齢登頂も凄いですがね。

海外登山の経験は豊かだったそうですが、エヴェレスト登山については特別なトレーニングは一切されず、現地に入って、高地に順応するのためのトレーニングを行っただけで、エヴェレスト登頂を目指されたそうです。

彼女は十代の頃の農作業で、足腰が鍛えられていたのではないでしょうか。

ちなみに10年後の73才(女性最高齢登頂記録更新)で、再度エヴェレストに登られたそうで、びっくりしましたよ。

私は秋になれば、六甲山にでも登りたくなりましたよhappy01

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2011年3月 3日 (木)

知的余生の方法

渡部昇一の「知的余生の方法」読了。

NYへの飛行機の中で読んだ。

作者は80歳だが、知的好奇心は益々旺盛で、自宅に大きな書庫を作ったと聞いている。
30数年前、知的生活の方法という本を出版し爆発的にヒットした。

学生であった私は、すごく刺激された。
深夜に無人の図書館で、クラシック音楽を大音響で聴くくだりを読んだときは、私も同じことをしたくなった。

作者はいわゆる後期高齢者だが、頭脳や記憶力は講師や助教授の頃よりも優さっているそうだ。
頭は鍛えると衰えないらしい。
人間は1日に10万個の細胞が死滅していると言われており、年を取ると記憶力は減退の一途をたどるようだ。
私など、その最たるもので、物忘れは激しくなり、記憶力は減退した。
作者に習い、頭を鍛えて何時までも頭脳明晰(?)で生きていきたい。

残念なのは、具体的な頭の鍛え方が書かれていないことだ。
それは読者への
、「頭の鍛え方については各自試行錯誤して考えることが、何よりの知的生活になるよ。」
との作者からの親心なのだろう。

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2011年2月19日 (土)

残念な人の英語勉強法

山崎将志の『残念な人の英語勉強法』読了

この手の本は、一体何冊読んだのかわからないほど読んでいる。
読み終わったときは、
「よし、今度こそ!」
といつも思うのだが、モチベーションは長続きがしない。
中学3年、高校3年、浪人2年、大学4年と英語の授業を受けているが、悲しいかな英検○級止まりだ。
だいたい仕事にはまったく使うことはないし、日常生活にも使わないし、当然英語を使う友人などいない。
こうなったら仕方がないので英語を使う国に旅行に行き、コテンパンに自分の英語力のなさを痛感するしかモチベーションを上げる方法はないのではと、最近考えているpunch


Photo

今日のおっさんrun

コース :播磨CR西コース
4 K   :24分25秒
往 路 :12分02秒
復 路 :12分23秒
気 温  :4度
風      :北の風2メートル

右膝が少し痛い。
骨盤がまたずれているのだろうか?
ストレッチとマッケンジー体操は効果が出るように、しっかりとおこなうことにするhappy01

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2010年11月 9日 (火)

終わらざる夏

浅田次郎の『終わらざる夏 上・下』読了

招集されるはずのない3人に召集令状が届いた。
1人は45歳の英語の翻訳をしている片岡、東京帝大医学部に在学中の25歳の菊池、そして3度目の招集となる38歳の富永。
片岡は苦学して東京外大の英語科を卒業して翻訳の仕事をしていた。
美人の妻も苦学して女子高等師範を卒業し、片岡と同業でした。
二人の夢はアメリカに暮らすことだった。

戦争は末期を迎えており、大本営は停戦のために役立てるため英語通訳として招集年限ぎりぎりの片岡を招集した。
千島列島の一番外れにある占守島には関東軍として満州に派遣されていた存在自体が奇跡に等しい精鋭の第11戦車連隊を含む2万3000人の兵がいる。
そこに3人は派遣された。

ポツダム宣言受諾後の8月18日、突如7000人のソ連兵が占守島の日本兵に戦いを挑んだ。
まったくもって国際法違反も甚だしい。
占守島には缶詰を作るために、400名の若い女子挺身隊がいた。
砲弾が飛び交う中を彼女たちの身の安全を守るため、20隻の小舟に分乗させ北海道に帰すために男たちは奮闘した。
日本軍は武装解除の準備を進めていたが、兵器・練度・人員・士気とも高かった日本軍がソ連兵を全滅させた。

自分自身を犠牲にして、勇気を出して国を守ろうとした。
人それぞれ、いろんな人生を送っている。
一生懸命真面目に生きていた人々が、簡単に戦争の犠牲になるのがやりきれない。

また平成の泣かせ屋浅田次郎に泣かされてしまった。

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2010年10月22日 (金)

「肩の荷」をおろして生きる

上田紀行の『「肩の荷」をおろして生きる』読了

背負うのが辛い肩の荷は下ろしましょう。
そして幸せをもたらす肩の荷を探しましょう。

と言うのが、この本の結論です。

人間を長くやっていると肩の荷が重たくなってくる。
来年は我が家では二人も大学生が存在することになるので大変です。
でも、そのような肩の荷は背負い甲斐があるので頑張れるが、それ以外のつまらない肩の荷はおろして、日々楽しく過ごせる肩の荷を背負うことにしようhappy01

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2010年5月11日 (火)

自転車ぎこぎこ

伊藤礼の「自転車ぎこぎこ」読了

伊藤礼先生の自転車物第二弾です。
この本は76才で書かれ、前作に比べ1日当たりの走行距離は落ちている。
前作では北海道の道東地方を巡航し、美幌峠や知床峠を登られていたが…
最近は50キロ前後ですが、お年を考えると凄いです。
愛知県の知多半島を仲良しグループで走ったり、教え子と山陰地方を楽しく走られた。

私も定年後は先生のように、のんびりとポタリングを楽しみたいと考えている。

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2010年4月27日 (火)

零式戦闘機

吉村昭の『零式戦闘機』読了

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零戦の活躍は周知のとおりです。
私が実機を見たのは時系列に記載すると、
 ・岩国航空自衛隊
 ・靖国神社(写真はここで撮影しました。)
 ・大和ミュージアム
です。
ミリタリーオタクではありませんが、偶然見つけました(十分にオタクかもsweat01)。

零戦は三菱名古屋航空機製作所で製作され、岐阜県各務原にある陸軍飛行場まで陸路運ばれた。

飛行機を本体と主翼に分解し、なんと牛車で運搬した。
トラックで運搬すると、道路事情がよくないため、飛行機にヒビが入ったそうだ。
名古屋航空機製作所から各務原の陸軍飛行場までは、牛車で丸1日かかった。

以前、各務原には叔母が住んでおり、何度か訪問した。
そのときは、飛行場には自衛隊機と米軍機が離発着を繰り返していた。
叔母の家は飛行場から2キロほど離れていたが、ジェット機の騒音が半端ではなかったことを記憶している。

その飛行場が、零戦が最初に運ばれた飛行場とは知りませんでした。
米軍人の住宅が近くにあり、日本語が堪能な少年と知り合いになったことが懐かしい。

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2010年3月10日 (水)

アメリカ彦蔵

吉村昭の「アメリカ彦蔵」読了。

中濱万次郎に引き続き、ジョセフ・ヒコこと浜田彦蔵の小説を読んだ。
彦蔵は私が住んでる隣町の加古郡播磨町の出身だったそうです。
知りませんでした。
そう言えば、町役場の近くで銅像を見たことがあったような気がします。

江戸への航海中に嵐に遭い、漂流してしまう。
アメリカ商船に救助され、サンフランシスコへ。
温かい理解者を得て、東海岸へ。
学校へ行き、英語を学んだ。
アメリカの国籍を取得後、帰国した。
当時は日本は鎖国していたため、日本人としては帰国は難しく、帰国すれば犯罪者扱いされるため日本国籍を捨てていた。

日本ではアメリカ領事館で通訳の仕事をしたり、貿易商を営んだりした。
故郷の播磨町へは3度訪れているが、彦蔵の横柄な態度が災いして、故郷の人からは歓迎されなかった。
結婚はしたが、子供はいない。
子供がいれば、彦蔵も違った人生を歩んでいたかもしれません。
結局、日本人にもアメリカ人にもなれきれず、浮き草のような後半生を送ることになった。
そういう生活が原因で顔面神経痛を患い、住居も転々と変える。
日本国籍も取得できず、失意のうちに61歳で心臓病で倒れ亡くなった。

中濱万次郎が晩年まで精力的に仕事をこなし、老いてからは長男家族と仲良く暮らしていたのと比べると、寂しい人生だったように感じる。

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2010年3月 4日 (木)

中濱万次郎

中濱博の「中濱万次郎」読了。

万次郎直系4代目が書いた力作でした。
彼の勤勉で実直な人柄がアメリカ人にも受け入れられ、たくさんの友人や後援者に恵まれ、日本に帰国することができました。
彼が帰国したい最大の理由は、『母に会いたい』と言うことでした。
土佐で母に会えたときは、うれしかったでしょうね。

少し長くなりますが、あらすじを書いてみます。
14歳の万次郎は、土佐から5人で漁に出たが漂流してしまい、太平洋上に浮かぶ無人島の鳥島で143日間生活をした。

偶然通りかかった捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助され、ハワイ経由でアメリカ本土に渡った。
船長のホイットフィールドの家でアメリカ生活が始まった。
いくつかの学校で英語をはじめ数学や造船技術などを学び、卒業後は捕鯨船に乗船し、副船長にまでなった。
英語は主に耳で覚えたそうです。
ちなみにホイットフィールド船長の家は、あの日野原先生(聖路加国際病院の日野原重明理事長)が修復に尽力し、ジョン万次郎記念館として開館しています。
ボストンから少し北へ行ったところだそうです。

どうしても母に会いたくて、帰国を決意。
折しもゴールドラッシュに沸く西部の金山に行き苦労しながら金を採掘し、600ドルの帰国資金を作った。
万次郎は、1851年24歳の時に琉球に上陸し薩摩、長崎と取り調べを受け、1852年25歳の時に土佐に帰着し、やっとのことで母と対面しています。

折しも、1953年にペリーが来航し、英語が堪能で生のアメリカ事情に詳しい万次郎に幕府は白羽の矢を立て、幕府に招かれ直参旗本となった。
日米間の交渉に通訳として尽力し、遣米使節団の一人として福沢諭吉らとともに咸臨丸にも乗船した。

開成学校(現在の東京大学)の教授にも任命されたが、周りの嫉妬や妬みに嫌気がさし、退職しています。

ホイットフィールド船長をはじめ、たくさんの心優しいアメリカ人の助けを受け、幕末に立派な仕事をなした中浜万次郎に敬意を表したいと思います。

故郷の土佐清水市には『ジョン万次郎記念館』や太平洋を臨んでいる万次郎の銅像があります。
機会があれば、『坂本竜馬記念館』とともに行ってみたいと考えています。

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2010年1月27日 (水)

免疫力を高める生活

西原克成の「免疫力を高める生活」読了。

私は口を開けて(無意識に開いているのですが) 寝ていますdown
朝起きると口の中がからからになっており、風邪をひくことが多いです。
この本ではミトコンドリアの活動を活発にし、免疫力の高め方が書かれています。

個人的に気になった個所を書いてみると
①口を開けて寝ていると、口からウイルスや雑菌が入ってくる。
そうすると風邪をひきやすく、雑菌が体内に入るため膵炎・心臓病等あらゆる病気にかかる可能性があるので、口を閉じて寝ていることが必要。
②胃腸を冷やすと体内のミトコンドリアの活動が鈍化するため、温かい飲物を摂取する。      
夏の暑いときに、冷たい物を飲むのは気持ちがいいですが(冷たい物の飲み過ぎで、下痢になることもありますがsweat01)、身体のためにはほどほどの量を飲むのがよさそうですcoldsweats01

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